場所
佐倉第ニ工業団地の一角に「女郎濱稲荷」という小さな祠があります。
名前がアレなせいかネットでも紹介されてる事を最近になって知りました。
勝手に入っていいのか気になりましたが、ちょっと覗いてみる事にしました。
写真を撮ってたらボランティアで掃除してる人に話しかけられまして…(汗)
この稲荷について色々伺ったので写真を交えながらお話したいと思います。
由来を調査してる方もおられるようで興味のある方は下のサイトを御覧下さい。
入口
昔は何もない藪でしたが、今は赤い看板があるのですぐに分かります。
交差点の脇にあり駐車場はありませんが、短時間なら路駐しても大丈夫かと。
元々は地元太田の人が管理してたそうですが、その後いなくなり荒れ放題になったらしい。
太田はウチの婆様の実家に近いんですが、まさか親戚じゃないでしょうね…?(爆汗)
掲示板
昔は入口もなく草茫々で入れませんでしたが、いつの頃からか手入れが始まりまして。
ここ十年くらいの間にどんどん綺麗になり、今では門や掲示板まで出来てます。
祀られているお濱女郎についての説明はこちらをどうぞ。
ネットでは萌えキャラにされてるみたいで、どこかに絵が載ってました。(^^;
それにしても、この辺りでは明治の時代になっても妖怪が出没していたとは…。
でも昭和四十年頃まで田舎では病気になると医者より先に祈祷師を呼んだそうです。
親戚のオジサンも昔、太田で狢に騙されて田んぼで泥風呂に浸かってる所を発見されたとか。
ウチの婆様が狐の嫁入りを見たのも同じ太田の山の中だったし、お濱女郎と話が繋がります!
婆様が生きてたら女郎濱稲荷の話を聞けたのに(たぶん知ってたはず)残念です。
鳥居
小さい鳥居がありますが、昔もあったか記憶にございません。
本来は隣にある古河ユニック入口付近の三角地全体が稲荷の敷地だったとか。
この鳥居も元は三角地にあったものをここに移設した可能性があるそうです。
この鳥居の文字、本当は書道家の人に書いてもらい板に彫りつける予定だったそうです。
しかし彫師の人が怪我してしまい、やむなくホムセンでレーザーを使い作ってもらったとか。(^^;
祠
まだ荒れてた頃、藪の中にこの祠がポツンと佇んでいたのを覚えてます。
今は朱漆で綺麗に化粧直しされてますが、当時は色もなく目立たない存在でした。
祠の足下には小さなお稲荷様の置物が沢山ありました。
せっかくなのでお賽銭を置いてきましたが、やはり賽銭箱が欲しいですね。(^^;
ちょうど梅の花が咲いてたので、いい雰囲気に……。
話によると開発に伴い周辺の道祖神や祠は近くの麻賀多神社に移されたそうです。
しかしなぜかこの祠だけが取り残されてしまったそうです。(理由は不明)
境内
敷地は意外と広く地元の人が集まってラジオ体操したりしてるそうです。
桜の木が何本かありベンチもあるので花見のシーズンは賑わうのかも……。
今はボランティアの人が管理してるそうで細かいところまで丁寧に手を入れてます。
掃除用具と、それらを保管する物置まで敷地内にありました。
藪の木を伐採しようと役所に問い合わせたら「持ち主に聞いてくれ」と言われたそうで……。
しかし隣接する古河ユニックに問い合わせたら「ウチの敷地じゃない」と言われたとか(ぉ..
そんなわけで現在この土地は所有者不明になってるようです。(田舎あるある)
毎日掃き掃除してるそうでウチのお墓よりずっと綺麗です。
せっかく綺麗にしてるのに足跡つけちゃって申し訳ありません(汗)
御神木
この大きな御神木は隣の敷地にあるのかと思ったらギリギリ稲荷の敷地内に立ってます。
子供の頃は太田の一帯、こんな木が茂っていて鬱蒼とした森になってました。
今のように道路もなかったので、この森の中に入った事は一度もありません。
御神木には「スダジイ」と名前が付いてますが、あだ名などではなく木の種類です。
この大きな御神木の他に、桜っぽい御神木がもう一本ありました。
それにしても、なぜこの一角だけ祠として残したのか不思議ですね。
西千葉駅前のアレのように手を付けられない事情が何かあったのでしょうか。
感想
今回もまたどうでもいいローカル情報ですみません。(^^;
いきなり声を掛けられて焦りましたが、賽銭ドロと勘違いされなくてよかったです。
ツーリング先ではよく声掛けに遭いますが、諜報活動ではこの能力が役立ちます。
お陰で貴重な情報をゲット出来ました(笑)
しっかし、お濱女郎って今でいうところの頂き女子と変わりませんよね~?(プ..
神様として拝んでいいのか迷いますが、佐倉は禿を公式キャラにするくらいですから。
佐倉にはこのような謎スポットが多々あるので、また紹介しようと思います。