わたしの名はメガネ。
かつては友引高校に通う平凡な一高校生であり、退屈な日常と闘い続ける下駄履きの生活者であった。
だがあの夜、ハリアーのコクピットから目撃したあの衝撃の光景が、わたしの運命を大きく変えてしまった。
ハリアーであたるの家に強行着陸したその翌日から、世界はまるで開き直ったかのごとくその装いを変えてしまったのだ。
いつもと同じ街、いつもと同じ角店、いつもと同じ公園。
だが、何かが違う!
路上からは行き来する車の影が消え、建て売り住宅の庭先にピアノの音も途絶え、牛丼屋のカウンターで慌ただしく食事をする人の姿もない。
この街に、いやこの世界に、我々だけを残し、あの懐かしい人々は突然その姿を消してしまったのだ。
数日を経ずして、荒廃という名の時が駆け抜けていった。
かくも静かな、かくもあっけない終末をいったい誰が予想し得たであろう。
人類が過去数千年にわたり営々として築いてきた文明とともに、西暦は終わった。
しかし、残された我々にとって終末は新たなる始まりにすぎない。
世界が終わりを告げたその日から、我々の生き延びるための戦いの日々が始まったのである。
奇妙なことに、あたるの家近くのコンビニエンスストアは押し寄せる荒廃をものともせずにその雄姿を留め、食料品・日用雑貨等の豊富なストックを誇っていた。
そしてさらに奇妙なことに、あたるの家には電気も、ガスも水道も依然として供給され続け、驚くべきことに新聞すら配達されてくるのである。
当然我々は、人類の存続という大義名分の下に、あたるの家をその生活の拠点と定めた。
しかし何故かサクラ先生は、早々と牛丼屋「はらたま」をオープンして自活を宣言。
続いて竜之介親子も、学校跡に浜茶屋をオープン。
そして面堂は… 日がな一日戦車を乗り回し、おそらく欲求不満の解消であろう、ときおり発砲を繰り返している。
なにが不満なのか知らんが、実にかわいくない。
あの運命の夜からどれほどの歳月が流れたのか。
しかし今、我々が築きつつあるこの世界に時計もカレンダーも無用だ。
我々は衣食住を保証されたサバイバルを生き抜き、かつていかなる先達たちも実現し得なかった地上の楽園を、あの永遠のシャングリラを実現するだろう。
ああ、選ばれし者の恍惚と不安、ともに我にあり!
人類の未来がひとえに我々の双肩に掛かってある事を認識するとき、目眩にも似た感動を禁じえない!
メガネ著 友引全史第一巻「終末を越えて」序説第三章より抜粋。